波の伊八BBS
Reload
投稿者
メール
題名
内容
<IMG><OBJECT>タグが利用可能です。
(詳細)
ファイル1
ファイル2
ファイル3
アップロード可能な形式(各1MB以内):
画像(gif,png,jpg,bmp) 音楽(mmf,mld) 動画(amc,3gp,3g2)
URL
[
ケータイで使う
] [
BBSティッカー
] [
書込み通知
] [
teacup.>写真
] [
検索
]
キーワード:
社寺彫刻
江戸彫工
彫刻師
投稿募集! スレッド一覧
スレッド作成
他のスレッドを探す
[PR]
一戸建物件千葉
[
teacup.
] [
無料掲示板
] [
プレミアム掲示板
] [
teacup.コミュニティ
] [
ブログ
] [
チャット
]
全141件の内、新着の記事から10件ずつ表示します。
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
|
《前のページ
|
次のページ》
Re: 嶋村源蔵俊表
投稿者:
管理人
投稿日:2009年 8月 4日(火)11時54分41秒
返信・引用
>
No.111[元記事へ]
こんにちは、古建築研究会様
俊正・俊表が兄弟であったことには納得されたようですね。(*^_^*)
下記のように八代源蔵俊表が氷川神社本殿再建の彫刻を担当するにはワケがあるのです。
名門嶋村家は六代俊規(寛政・化政時代)のとき幕府御用勤という生業を東都後藤家に拝命替えさせられ、
いままで一般宮大工とは付き合いがありませんから、即仕事が無くなってしまったのです。
俊正・俊善兄弟はこの時すでに20歳を過ぎておりましたが、俊規の弟・俊縄は嶋村家を憂い石原流の飯田家で一から修業し源蔵名跡を競い合わせることになります。
年季明け後何らかの決定がなされ弟の俊善が八代源蔵を名跡するが天保十三年頃は両者三十五歳過ぎ働き盛りです。
一般的な本流名跡時としては遅いほうですが、この時から名門嶋村家は復活します。
したがって、六代俊規の子・七代俊矩の名跡期間はとても短いか形だけのものと考えられる。
また古くからあった嶋村家の構図・作風に変わって俊表・俊正から石原流の作風になりました。
同時期に香取郡嶋村系彫工の鈴木市右衛門鶴鳴(六代源蔵と同時代)は倅(多門豊賢)を東都後藤安五良常善の元へ修業に出している。(構図・作風から管理人推測)
要するに化政時代以降東都後藤流の台頭で古い嶋村流の彫刻では勝負にならないというのが嶋村系彫工の常識となったワケです。
(俊表は文久三年十一月、勝浦の遠見岬神社再建の仕事の前に急死、五十五歳)
幕府御用勤(官工)東都後藤茂右衛門家名跡の悲劇もありますのでご購読を・・・。
古建築研究会さんへのお返事です。
> 人の人生を辿るのは楽しいですね
> 今回も『唐丸』さんのページを見ての感想です。
>
> 氷川神社の彫物を請負ったのは
> >(これは氷川神社の文書に残っている、請負の墨書に「嶋村源蔵俊規の名」)
> のようで源蔵俊規が仕事を受けたようです。
> しかし、仕事の途中で亡くなってしまった。
> 『唐丸』さんのページによると
> ・・・弘化元年(1844)甲辰十二月六日没。
> 源蔵俊規には跡継ぎがいたがその前に死没して氷川神社本殿完成の時にはいなかった。
> 『唐丸』さんのページによると
> ・・・六代嶋村俊規は倅の七代俊矩と二人で山梨県の身延山諸堂の彫刻行脚をしたと伝えられるが、
> そこで、急遽
> 『唐丸』さんのページによると
> ・・・六代源蔵俊規の弟俊縄(源六)は二人の子、俊正(兄)と俊善
> のうち、現場で働いていた「俊善」を跡継ぎにして氷川神社の彫物を完成させた。
> という「ものがたり」はどうでしょうか?
>
> 現代でも歴史の世界でも『俗説』の方が広く世に広まり、『俗説』の方が信じられている
> のが現実です。有名なのは江戸時代の小瀬甫庵の『太閤記』よく知られている為に
> 多くのドラマがこれを下敷きにして制作され、時々、現在のテレビ局が研究者のエライ
> 先生の異説を報道されるが無視されるのが実情ではないでしょうか。
http://edobori.fan-site.net/
嶋村源蔵俊表
投稿者:
古建築研究会
投稿日:2009年 8月 3日(月)19時56分14秒
返信・引用
人の人生を辿るのは楽しいですね
今回も『唐丸』さんのページを見ての感想です。
氷川神社の彫物を請負ったのは
>(これは氷川神社の文書に残っている、請負の墨書に「嶋村源蔵俊規の名」)
のようで源蔵俊規が仕事を受けたようです。
しかし、仕事の途中で亡くなってしまった。
『唐丸』さんのページによると
・・・弘化元年(1844)甲辰十二月六日没。
源蔵俊規には跡継ぎがいたがその前に死没して氷川神社本殿完成の時にはいなかった。
『唐丸』さんのページによると
・・・六代嶋村俊規は倅の七代俊矩と二人で山梨県の身延山諸堂の彫刻行脚をしたと伝えられるが、
そこで、急遽
『唐丸』さんのページによると
・・・六代源蔵俊規の弟俊縄(源六)は二人の子、俊正(兄)と俊善
のうち、現場で働いていた「俊善」を跡継ぎにして氷川神社の彫物を完成させた。
という「ものがたり」はどうでしょうか?
現代でも歴史の世界でも『俗説』の方が広く世に広まり、『俗説』の方が信じられている
のが現実です。有名なのは江戸時代の小瀬甫庵の『太閤記』よく知られている為に
多くのドラマがこれを下敷きにして制作され、時々、現在のテレビ局が研究者のエライ
先生の異説を報道されるが無視されるのが実情ではないでしょうか。
Re: 嶋村俊表、俊正 同一人説
投稿者:
管理人
投稿日:2009年 8月 3日(月)10時37分22秒
返信・引用
>
No.109[元記事へ]
こんにちは、古建築研究会様。
下記質問にお答えします。
古建築研究会さんへのお返事です。
> 嶋村俊表、俊正 同一人説
> 兄弟説、親戚説などあるようなのですが下記のような記録から見ると同一人と思われます。
> 唐丸さんのペ−ジを見て気がついたのですがある年代を境に名前が変わっている。
A).源蔵は嶋村本流の世襲名跡名ですが俊表とは嶋村八代目の藤原姓です。
八幡神社拝殿(岬町榎沢)に刻銘が残されています。
ある年代とはいつのことでしょうか?
嶋村源蔵俊表の刻銘初見は氷川神社本殿の胴羽目彫刻に観られます。
俊表と俊正は石原流の飯田仙之助の元で修業(管理人の推測)、本流名跡者が本殿の彫刻を手掛けることになってた。
(これは氷川神社の文書に残っている、請負の墨書に「嶋村源蔵俊規の名」)
天保末年から七年の歳月を掛けて彫刻施工しており、俊表その後の作は嘉永年間からになります。
> 1850年より前には俊表が無い、1850年後に俊正が無い。
A).これは上記で説明がつきます(氷川神社に刻銘あり)
1850とは嘉永三年のことだが以後の俊正の刻銘はあります。
私のホームページに載っていないのでそう云っているのでしょうが明治初期安房の寺院や
神輿に俊正の墨書が残されております、これは現役の彫物師が確認しております。
俊正と俊表が同一人ですと勝浦の三台の彫物が存在できません。
天保十五年から弘化に掛けて刻銘入りの屋台彫刻を三町内に多数残しています。
氷川神社と勝浦三町屋台は全く同時期の作です。
> 同じ、島村流8代を名乗っている。
A).俊正は八代源蔵を名乗っていません。
天保末期の天神社(岬町)では「嶋村源蔵」の墨書、これは八代名跡を競い合っていた頃の作でしょう。
菅原神社拝殿(勝浦市)では「嶋村俊元八代目」ですね。
八代嶋村源蔵は俊表であり俊正ではないのです。
> 正・・・正しい、表・・・おもて(主流)
> 等から、同一人ではないかと思われます。
A).これは私の推測であって七代までが「規矩準縄」で推移したため、熟語を当てはめただけです。
そして兄弟であった証拠の刻銘もあります。
前出の八幡神社拝殿(榎沢)蟇股の裏側に「嶋村俊元八代末孫」と刻してます。
兄孫が居るという何よりの証拠です。
因みに「八代源蔵俊表」を名跡する前の名前は「本名:嶋村俊善 職名(字):藤原儀明」です。
俊正は本流を名跡していないのでそのまま「嶋村留五郎俊正」
六代源蔵俊規の弟(源六俊縄)の子・兄弟と私は推測しています。
資料があるわけではなく、刻銘・刻印と墨書から判断したわけであくまでの私の推測ですが、
エライ先生が云えば定説になるんでしょうね。
http://edobori.fan-site.net/
嶋村俊表、俊正 同一人説
投稿者:
古建築研究会
投稿日:2009年 8月 2日(日)19時56分29秒
返信・引用
嶋村俊表、俊正 同一人説
兄弟説、親戚説などあるようなのですが下記のような記録から見ると同一人と思われます。
唐丸さんのペ−ジを見て気がついたのですがある年代を境に名前が変わっている。
1850年より前には俊表が無い、1850年後に俊正が無い。
同じ、島村流8代を名乗っている。
正・・・正しい、表・・・おもて(主流)
等から、同一人ではないかと思われます。
安房の宮大工
投稿者:
管理人
投稿日:2009年 8月 1日(土)10時28分14秒
返信・引用
追加しました、目からウロコ!!
平内家・甲良家と関係する名門宮大工達で彫物も得意です。
http://edobori.fan-site.net/
須賀神社(小見川)
投稿者:
管理人
投稿日:2009年 7月21日(火)12時21分8秒
返信・引用
小路町山車組み立て場所となりです。
本殿・拝殿は近年の再建と想われます。
境内社の三峰神社・阿夫利神社(前林善右衛門「推定」)と神楽殿(鈴木多門豊賢「推定」)
下は神楽殿
http://edobori.fan-site.net/
小見川の山車彫刻
投稿者:
管理人
投稿日:2009年 7月20日(月)09時46分59秒
返信・引用
二臺UPしました。
南下宿の山車彫刻は小松重太郎との資料があります。
小路町の彫工は飛騨から呼んだと伝えていますが、作風に疑問がのこります。
明らかに江戸彫りです。
http://edobori.fan-site.net/
Re: 提供画像
投稿者:
管理人
投稿日:2009年 7月 4日(土)12時25分3秒
返信・引用
>
No.104[元記事へ]
一部UPしました。
http://edobori.fan-site.net/
提供画像
投稿者:
管理人
投稿日:2009年 7月 3日(金)17時51分17秒
返信・引用
長生村のO氏からまた八社寺の画像送って頂きました。
近々UP予定。
http://edobori.fan-site.net/
これが最後になります
投稿者:
管理人
投稿日:2009年 6月18日(木)19時06分23秒
返信・引用
慈光寺・観音堂(比企郡都幾川町)・高麗山聖天院・山門(日高市)UPしました。
彫工は供に不明ですが、構図・作風から推定してみました。
高麗山聖天院・山門の木鼻です↓
http://edobori.fan-site.net/
以上は、新着順31番目から40番目までの記事です。
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
|
《前のページ
|
次のページ》
/15
新着順
投稿順